バッカジャネーノ

普通が分からないが普通が欲しい

自転車事故の話

自転車の前輪をぶっ潰された話、小学校高学年だったと思う。

その日は冬でクリスマスが近い頃、姉がおやつを作るための材料を近くで買えなかったので7時頃に遠くのスーパーまでお使いをさせられた。

新しく出来たスーパーで、生クリームを買うまでは特に問題なく、早く帰ろうとシャカシャカ自転車を漕いでいた。

そこはお店が道路沿いにわちゃわちゃしてる所で、歩道が度々途切れた道を進行方向へ一直線に走っていた。

牛丼屋の出入口に差し掛かる所で、出入口から車線に出ようとする白いワンボックスカーが登場し、前輪を見事に引き潰した。

L字に折れ曲がる前輪に続けて私も転倒、膝をアスファルトでちょっとガリガリした。

運転手は若い茶髪の兄ちゃんで当時大学生ぐらいの子だったとおもうが、私は初事故の衝撃もそうだが自転車をぶっ壊した事による親父に怒られるという恐怖も相まって大泣きした。

申し訳無さそうな兄ちゃんには申し訳ないがギャン泣きの子供相手に会話は成立せず、タジタジの兄ちゃんを無視して前輪が回らない自転車を何とか持ち上げては降ろしてを繰り返しながら帰宅を決行。

泣きながら潰れた自転車を数メートル運んだが何分重かった。しかしその時電話をするという行為は1ミリも頭を過ぎらないし、とにかく怒られるしか考えつかなかった。

たまたま通りかかった平井堅似の赤と黒のジャケットを来ていた兄ちゃんが自転車を担いでくれて、帰宅が出来た。ありがとうよ、名も知らぬ兄ちゃん。

後日警察が来て、事故の詳細を聞かれたがろくにナンバーも車種も答えれ無かった。ナンバー覚えとけとか知らんわ、名刺もろとけとか先に教えてくれよ。

ポリ公さんはおじちゃんでまぁ事故った人も自首してくれるかもじゃからって名刺をくれた。する訳ねーよな、その後の連絡一切来なかったわ。保険効かんでも事故トラブルよりマシよな。



自転車に乗る子には交通ルールもそうやけど、事故の処理の仕方も教えといてくれ

近所の子の弟は巻き込みにあって大丈夫やんね!?で逃げようとするおばさんに当たった。周りがおらんかったらひき逃げになるとこだった。



小さい子がここにたどり着くか知らんが、まだ事故ってない人はよくよく気をつけて。車乗った事ない子とかは読んどいて


上記の体験談の事故に巻き込まれたていで話す。
まず巻き込まれた時、必ず自分の安全を確保すること。
その場が車通りが多かったら移動、次の事故を回避する。

安全な所で現状の把握、相手の運転手が降りてきて対話が出来る場合は警察に通報してもらおう。
そして警察が来るまでお互いその場に留まること。
無言の沈黙はなかなか辛いがこれがベスト

運転手は事故った時は必ず相手の安否を確認する義務があるし、警察から発行される事故証明があれば保険会社からお金もおりる。

逃げようとする場合はナンバーを記憶すること、車種も知っているとなお良い。車の後ろに大体書いてあるので覚えらるようなら覚えておく、写真があれば万全。

周りの人やお店に事故に遭ったので助けてくださいと求めよう。

とにかく警察、これ大事。

自転車の話

小学校に上がる前までは兄妹お下がりの補助輪、当時はコマ付きの自転車が初

走る度に補助輪がカラカラ鳴る、小学校低学年用の絵本か積み木のような赤、緑、黄色の自転車をある日突然外して漕げるようになれと練習させられ

お約束の後ろで支えていてくれると言ったのに手放されて途端バランスを崩し転倒するという理不尽を経て漕げるようになったのが懐かしい。

兄妹の誰かが練習を手伝っていてくれたのだけれど、何故コマを外さなければならなかったのか、何故外されたのか

唐突な練習になんの意味が、何故転倒したのに再び練習する事を求めるのか。解せぬ。

それからしばらくして、初めての自転車を買って貰える事になった。

親父殿と出掛けたと思うのだがどこに買いに行ったのか、持ち帰り方、値段も何一つ覚えていない。多分当時のサティだったと思われ

潰れる前のボディは真っ白、サドルのグリップ部分は透き通るクリアなピンク色でベルを鳴らす突起、カゴ、タイヤのカバー部分等もピンク色をしていた。

鍵の形が周りの女の子達も似たような形の鍵で、試してはいないがもしかしたら友達同士鍵を取り替えても使えたのかなと思う。

私は鍵を無くして、親父殿が針金のようなもので外してくれて新たな鍵を付けてもらった。

タイヤから付け根中心にかけて伸びている鉄の棒にはクロックスみたいに取り付けられる星が幾つも付いていて、当時の女の子達に可愛いと褒められたので幾つか分け与えた事もあった。誰か覚えていないけど。

6年生ぐらいで小学校に、6時間目に自転車教室があるので朝から自転車を押して進みながら学校に持って行ったのは楽しかった。

内容は覚えていない、木の人形が実際事故に遭った例を見せてくれたり、自転車で曲がる際などに使うハンドサインを教えてもらったと思う。

が、私としては帰り道、校門から見えなくなった途端自転車に乗れるのが最高に楽しかった。

赤い防犯登録のシールをちょこっと興味本位で剥がしてみたら、なかなか取れなくて早々に諦めた。

走行中前輪を持ち上げることで軽い段差を避けたり、手放し運転をしてクソガキらしく自転車を楽しんだ。

夜お使いに行ってたら自転車の前輪ぶっ潰されて泣きながら帰った。

それ以降お気に入りの自転車を捨てる事になりさらに泣いたし、自転車にはあまり乗りたく無くなった。

最近乗ったら歩道と車道との段差に引っかかって見事に転んだが何とかなった。なおジーパンの下には皮が幾らか削れたが出血は無かった。


自転車ぶっ潰された件は別に書く

バイトの話

ド田舎の雑多に店が立ち並ぶ中に、私の職場はある。
朝から夜まで人が常に行き交ってはいるが、客足は夕方からが殆どでそれまでは基本的に疎ら

大量のショーケースが売り場を埋めつくしており、ガラス1枚を隔てて商品との待合室として立ち並んでいるのがどの店舗でも大体が同じ店の構造だと思う。

ショーケースには商品となる彼、又は彼女などが容姿、人気、空きなど様々な場合によって割り振られて、設定と共に鎮座する。

システムとしては、ショーケースの商品達をお客様自身で見てもらい、気に入った商品へのアプローチを楽しんで頂く。
そこまでがウチの商売ということになっている。

アプローチのやり方はショーケースや商品になるものによって設定が違うし、売り出し方も異なるので細かい所はどうだとハッキリ言えないが手段は前述の通り

ほぼ毎日開店しており、ご老人からお小遣いを握り締めた歳のお客様まで様々なお客様が来店しており、客層は幅広い

周りの騒がしさに負けないBGMと照明の喧しい店内で、従業員は売り場の維持が基本的な業務だ。

開店時には店の清掃、備品の在庫確認をして、商品の整列

ショーケースに入る商品達は、ショーケースに入ってお披露目する前に売り出される設定が与えられており、その通りに並ぶ。

掃除をして手垢を落とした磨きたてのショーケースから、商品の見栄えを確認しながらお客様をお迎えする。

様々なショーケースの商品を品定めしていくお客様への対応も仕事に含まれていて、各ショーケースへのアプローチ方法のご紹介やキャンペーンなどがあればそれの告知など

ショーケースの商品が気に入らないお客様のご希望には、同じショーケースの別の商品にステージへ交代もさせる。

売れる子は本当に売れてしまうので、空いた場所が出来ると間に合わせに控えていた商品達が並ぶ。
が、新しい商品は次々と入ってくるので、ショーケースの中身は入れ替わりが激しい。

様々な顔立ち、髪型、衣装があるので似たカテゴリーの商品も並べては見るのだが一見些細な差も見る方によっては決定的な何かは、ガラスの外側に嫌と言うほど結果を示している。

人気の商品が売れた後、残った商品を並べるのだが人気が無くても連れ帰られるかも知れないとアプローチを掛けるお客様もいるが、アプローチを掛けられないまま長く売れ残ってしまう商品を見ていると何となく物悲しくなってしまった。

ゲーセンの話な

失敗話 小学生編

男の子に虫編みを借りたのは良いがいつの間にかその子が居なくなっていて、探したが見つからなかった。
家も知らない子だったので、困り果てて自分の通学路で1番人通りの多い薬局近くに立て掛けて帰った。

後日担任に怒られ、その子に謝らされた。なんでやねんぐぎぎ、言い分を聞いてほしかった。

一緒に遊んでいた男の子と、とある女の子が付き合っていると言っていたので本当に?と男の子に聞いたら付き合ってないと言っていて女の子がギャン泣きする修羅場を作成したこと。

上記の女の子が額に怪我をして大泣きしたので、怪我は何とも無いよって慰めたけどその女の子にあんたに分かるわけないってさらに泣かれて周りの女子に怒られたりした。

遊戯王に影響されて、自作のカードゲームを一緒に遊んでる男の子達に広め、思いつく限りの役職を割り振っていたらそのうちの1人の子に俺は俺はって詰められて困り、助けに入ってくれた男の子との喧嘩を発生させてしまい、傍観するしか無かった。

パソコンでゲームのステージを作って公開することにハマり、作ったステージが絶賛されていたので自慢したら疑われたので憂さ晴らしにその子の苗字をステージ名に付けて公開した。

大体の事には倒れないと言った男の子がいたので、本当に?と、蹴りをキャン玉に命中させた。本当にごめんなさい。

得意な事を書くという項目があったので、キックと書いたがサッカーの時間に声援を貰って張り切ったら盛大に空ぶった。めちゃ恥ずかしい。

夜道の中、1人が怖かったので大声で歌いながら帰っててたらご近所さんの通報を受けて母君が迎えに来てくれた。ごめんなさい。

九九ができないまま放置してたら放課後に捕獲され1人補習をした。今でもあやふやかもしれない。

宿題をやらないので放課後居残りをさせられるのだが、嫌で速攻逃げた。ら、翌日先生に目を付けられて逃げ道が無かった。

髪を切りに行くのもめんどくさかったので自分で切ってしまった。その後凄い広がってとある芸人そっくりになったし、美容院の人には酷い切り方で心配され、ひっそり傷ついた。

父親がふざけて足裏を怪我させてきて、健康チェックをしている際に担任に申し出たら嘘だと信じて貰えなかった。

虐待の話

私自身は虐待、に近い、ド、とつかない程度の底辺の家庭で育ったと感じている。

ニュースで流れるような、真冬に冷水ぶっかけられて外に放り出された事はないが、家から出ていけと夏冬関係なしに殴られたりした後に家から素足で首根っこ掴まれて放り出された。

気に食わないと殴られて死亡した所までは行かないが、父の機嫌をそこねようものなら怒鳴られるのは当たり前だ。

母親は止めたことは無いし、直接飛び出て庇ってくれたことはない。というか、大体現場に居ないし、居ても手当するくらい。母も父に怒鳴られて反撃もしない。

親友は酷かったね、と心を痛めてはくれるが、私が確かに悪さをしたこともあったし、タバコはやるが酒に酔って殴りにくることもない。

酷い親であったと思う、それなりに酷い子供であったと思う。虐待じゃん!と言われてしまうと否定は出来ないとも思えるのも確かだ。

しかし、親友の家庭も中々であると私は思う。

父が働き、母は専業主婦、打たれたり、暴力的なものは無かったらしい。

が、聞いた中で父親が旅行に行きたくないと泣く子供を部屋から無理矢理引きずり出したり、姉の為に産んだのだと平然と告げられるのも中々の酷だと思う。

仕事の上司は、父母がお前は何もしてくれないとチクチク言われるらしいが家の頭金などもろもろを用意もしたのにと愚痴っていた。

うちの母親は、父親は友達感覚の付き合いだったらしいが母親が妹の面倒を見ている間紐で繋がれていたとか

父親は叱られた時は箱の中に閉じ込められたらしい。

高校の後輩は親にお前は心配だからと詰められて信頼されないのが苦痛だと泣いていた。

世の中色々あんね

中学の同級生に襲われた話

男女の友情なるものとは成立するのだろうか。
はたまた友情はいつまでがあるものなのか。
そして私にまともな縁はいつ来るのだろう。

中学からは完全にインドア派で、小学生のような用水路遊びや秘密基地ごっこはやらなくなった。

小学校高学年になるに連れて、異性と遊ぶことが少なくなった。特に避けたつもりはないのだが、転校生やぼっちの子を女子の集まりに放りこんだら私はぼっちになっていた気がする。自業自得もあるが。

昔遊んだ男子にゲジ眉と悪口を言われていて結構傷ついた。おめーもじゃん、その後眉毛殆ど切り落としてしまって周りに心配された。これには普段話し掛けてこない父君もどうしたと聞かれた。

それは置いといて、タイトルの話は中学の頃に唐突に家に電話が掛かってきたのである。

普通に出たら、小学生の頃一時期同じ悪さをして怒られたり、遊んだりした男の子からで、遊ぼうと言う話だった。

うん年振り、そんなレベルで間が空いていた相手から唐突に電話が掛かってきたが、私は絶賛いじめられっ子なので集団リンチに合わせる気じゃなかろうかと探りを入れた。

どこで、誰と、何を、相手が嘘をついていたらどうにでもなるが、とりあえず他の男子等が居ない事を確認してその男の子の家に行った。

久しぶりに、昔のように遊べるのだと期待して

家は薄暗く、他の家族がいなかった。
お邪魔しますと小さく言い、2階に誘うのでそれにのこのことついて行った。

彼はベッドに座り、何ができる?と聞いてきた。
私はトランプならババ抜き、七並べと続けようとして違うと遮られた。

意味の分からないまま、ベッドに来いと言われて意味を察した。伊達にエロゲを見てねーぜ。
私なんかより他にいるでしょと、言ったが、いいからベッドに来いと言って立ち上がったので、私は部屋から飛び出した。

ダカダカ階段を降りて、靴かサンダルかを履いたが玄関は開かなかった。

すぐ後ろに彼が来ていて、背面を取られるのが嫌で正面で向き合うと股間をズボンの上からまさぐられた。

ちょうど生理だったので、夜用の分厚いナプキンの上から股をもにもにされたが、後ろ手で玄関の鍵を開けることが出来たのでそのまま走って逃げた。

持久走も短距離走も下から数えた方が速い私の走りでは、運動部の彼の足からは到底逃げ切ればしないだろうが、私は振り向くことも出来ず家まで全力前進DA☆した。

多分追っては来なかったし、家の場所までは教えた覚えはない。
家の玄関から出入口になりそうな1階の窓まで全て戸締りの確認をしてしばらくソイツが家に来ないかと警戒した。

携帯を持たせて貰っていたのだが、だいたい昼間は電話が繋がらないのでメールで襲われたとだけ送信した。

時間が経つと冷静になれ、家族が帰ってくる頃には普段通りに何事も無く夜を過ごした。

翌日は学校をいつも嫌々いくまでは変わらなかったが、教室で席に着いた時、ソイツがいつ教室に来て、ちょっとツラ貸せやチクったらどうなるか分かっとるやろなと脅しに来るのではと朝から教室の入口を警戒した。

そんなことも無く、休み時間に学年教師数人に呼ばれて事情聴取、ソイツがどんな服を着ていたかという質問が1番頭に残っている。

先生が怖かっただろう、可哀想に、顔色悪いよなどなど心配をしてくれ、先生は学生時代に痴漢にあったとも語った。

私としては怯えよりは完全戦闘態勢のつもりだったのでそんな怯えているように見えたのが驚きで、俯いとけば先生なぞチョロいと考えていた。

ソイツが反省してなかったら警察にも手伝って貰うし、より注意するから安心して学校を過ごせるようにすると言ってくれた。

後日、ソイツのお母さんが謝りに来たと聞いて飛び上がったがソイツ自身は来なかったと聞いて安心した。

でも、母が言ったあんたも悪いのよが1番傷ついたし、今でも響く。

失敗話保育園編 ~年長の放火魔~

やらかしたって感じた時には大体遅いし、ふと思い出して誰も覚えてないよなって心配になる。

覚えてる中で1番最初のは消防訓練してから火に興味を持って、家にいくらでもある父親のライターでティッシュに火を付けてゴミ箱にぶち込んだこと。

家族が出かけてお留守番してたら火が見たくなって、ティッシュに火を付けた。昔からロウソクに火が灯ってるのが好き、火を見るのが。別に家を燃やすつもりは無かったと供述しよう。

持つとこも燃えてきて、ゴミ箱に放りこんだらビニールが溶けて慌てて水をぶっ掛けてその濡れティッシュを庭にぽんと捨てた。安心し、何事も無いようにしてたが帰ってきた父親が焦げ臭いと周りを探して庭のびちょ濡れコゲティッシュを見つけてめちゃんこ怒られた。


保育園ではコンビニで買って貰ったプリキュアのマニキュアが嬉しくて持ち込んで、こっそり他の子に話したら、素直に話せば怒られないよって言われて即報告された。悪☆即☆斬もち速攻で先生に怒られた。怒られないって言ったじゃん。

転園してきたのでみんなが作業している中、自分だけ作品が無くて泣いてしまった。

登園するのが嫌で嫌で送り迎えする母との別れ際毎日ぎゃんぎゃん泣くので、先生と泣かない約束をした。もちろん私に何のメリットもない、約束通り泣かずにお別れをして翌日また泣いた。

そしたら先生に毎日約束をしないとダメなのかと叱られた。理不尽。

先生をちゃん付けで呼んでみた、即座に呼び止められて先生でしょって怒られてしまった。びっくりしただけだがちゃん付けはやめた。

お昼寝の時間、先生にトントンをお願いしたらあんたは寝ないでしょって断られた。ごめん、でもトントンされるの好きなんや。軽くショックだった。

クリスマスでサンタさん登場したが、サンタなるものがよく分からずに近付かれて大泣きした。家にはサンタが1度たりとも来たことはない。

お気に入りの絵本を持ってきたのだが、貸しているうちに表紙が傷まみれになって悲しかった。が、さらに先生には持ってくるからだと言われて切なかった。今もまだ部屋にある。

昔から豆腐メンタル、経験値をどれ程積めばスライムになるんだろう